1)対象地区の物理的解析
牡丹町は周囲を大横川と古石場川、平久川という 3本の運河によって囲まれ、10ヵ所の橋によって東西南北の他の領域と結ばれている。北側には3本の橋があり、地下鉄の駅及び門前仲町の商店街とを結 びつけている。東側は小学校のある平久と結ばれ、南側は5本の橋が古石場、さらに南の越中島と結ばれている。西側は牡丹一丁目と結ばれている。
ⓐ埋立地の増殖的成長
江戸時代から現在に至る牡丹町周辺における埋立てによる市街化領域の発生と成長の過程を、4つの年代に分けて図示した(図省略)。隅田川下流のこの地は江戸時代以後埋立てられた低湿地であり、江戸市内の人口増による居住地としての必要性や東側に木場が移転してきたことともあいまって、埋立てと堀割(水路)開削とが同時に進行し、海岸線が後退していったのである。その後明治時代以降、工業化・近代化の波とともにさらに埋立てが進行し、昭和に入ってもなお、急速に埋立てられ牡丹町は内陸化したのであった。
ⓑ動線(図-12)
歩行者の動き
イ. 買物(図-12のA)
牡丹町の北側に隣接する門前仲町の主要道路沿いには大規模商店街があり、牡丹町からは3つの橋1,2,3が利用される。牡丹町の領域内においても、日用品主体の商店街(黒色)があり、当領域の住民以外に近接した古石場及び越中島の住民も利用している。その際、主に3つの橋(6,7,8)が利用される。当領域内の児童が通学する学校はすべて領域外にある。小学校は東隣りの平久、中学校は 南側の越中島、また幼稚園は南隣りの古石場にあり、その際4つの橋(6,7,8.9)が利用される。
ロ. 駅へのアクセス(図-12のB)
牡丹町の住民は、そのほとんどが地下鉄東西線を利用している。駅は門前仲町にあり、主に北側の3つの橋が利用される。
ハ. 交通量(図-12のD)
南に隣接する古石場、越中島には、工場・倉庫・運輸施設が多い。また北に隣接する門前仲町には幹線道路が東西に走っている。牡丹町にはそれらを南北に結ぶ2本の主要道路が貫通しており、4つの橋2,3,6,8は、通過交通が非常に多くなっている。また領域を東西に貫く道路には商店街があり、2つの橋4,10も、供給輸送等で交通量が比較的多い。
Ⓒグリーン・マトリクス(図-12のC)
公園等オープンスペースは西側のみに3カ所あり、東側にはない。東西の主道路と東側の東富橋・琴平橋間の街路に街路樹があるが、全体としては緑が少なく、緑化が必要である。
2)牡丹町における橋のタイプ(図-13)
この図はそれぞれの橋の現状を示し、あわせて修復の可能性を記号化し示している。
3)詳細(図-14)
ⓐ小津橋
南側の古石場川に架かっている橋で、牡丹町と古石場、越中島とを結びつけている。橋の規模は比較的小さく、老朽化が進んでいる。車輛の通過交通量は少ないが、買物・通学等の歩行者の量は多い。この橋における修復手法は全面的修復が適していると考えられる。具体的には、車輌通行を遮断し、橋上を歩行者のための公園に改造する。空間が明確になるようにフレームが架けられ、路面はデザインされた敷石を施し、植樹もなされる。橋詰もあわせて小公園(ポケットパーク)化し、公衆電話・掲示板等を付加する。
ⓑ東富橋
北側の大横川に架かっている橋で、牡丹町と門前仲町とを結びつけている。橋の規模は、比較的大きく、鉄骨のトラス橋である。交通量は車・人とも多く、橋詰にはかなりの広さの空地を有している。この橋における修復手法は部分的修復が適 当と考えられる。橋詰の広い空地は、橋の下をも含めた親水的な小公園(ポケットパーク)化し、歩道にはデザインされた敷石を施し、中央には川を見おろしたり遠くを眺めることができるようなバルコニーが付加され、橋を基点に緑化も行なわれる。
2つのケーススタディーの中で選ばれた多くの坂と橋は、その地域における場意識の回復を図るという最終目的を達成するための手段として、すなわち触媒と成り得るために修復されたものである。
この手法は、ケーススタディーで取り上げた2つの地域のみに成立する方法論ではなく、坂や橋のような都市における微要素ならびに地形的特性は、東京の広い地域で見つけ出せる。また東京のみならず、他のどの都市においても見つけ出すことができるのであり、よってこの手法は、広い適用性を持っているのである。