この計画で、われわれは東京の2つの地域を再生のケーススタディーの場所として選んだ。1つは、微地形群から四谷若葉町を選び、坂の修復によって地域の再生を計る例を代表し、他の1つは、水系地域から牡丹町を選び、橋の修復によって同じく地域の再生を計る例を代表するものである。
1)対象地区の物理的解析
東京の山の手地域は現在でこそ都市化が進み高密度であるが、かつては約400の名のある坂に象徴されるように、微地形の集合として認識できた。この新宿区若葉町にも10本の坂があるが、このような葉脈状の地域は東京に数多く存在するのである。
ⓐ地域の鳥瞰
陸軍地図によれば、1870年頃までは若葉町はまわりを斜面で囲まれた、一つのまとまった市街地であった。しかし現在では、周辺の斜面は家で埋め尽くされ、坂を通ってもそこからの視界が限られてしまうため、意識的にも物理的にも、周辺の街と切れ目なくつながってしまっている。
ⓑ土地利用現況
図8中の坂1,6は周辺に寺があるが、坂とは分離している。坂4は、周辺に公園があり、坂と分離してはいるものの、この公園が上の街と下の街との中間に位置しており、それぞれの街の子供達にとって絶好な遊び場になっている。
Ⓒ微地形と坂の位置(図-6)
この地域が、微地形とそれに付随する10本の坂によって囲まれているのがわかる。
ⓓ動線(図-7・8)
中央部のグレーで示された部分は若葉町の主動線を示す。それには坂1,5,6が含まれる。また駅へ通ずる坂5は二又に分かれており、ここを通過する人は、どちらかを選択することができる。
2)若葉町における版のタイプ(図-8)
この図はそれぞれの坂の現状を示したものである。その指標として次の6つの要素を選んだ。すなわち、坂の周辺地区の建て込み具合、また坂に隣接する部分に公共空間ないし社寺があるかどうか、傾斜の度合い、坂の幅員、交通量(人及び車輛)、坂の持つ歴史性の有無の6つである。
3)詳細(図-9)
この図は、前図の各坂の分析結果に基づいて、そ れぞれの坂に可能なリハビリテーションのパターンを示したものである。
ⓐ坂 No.5(図-10)
この坂は、若葉町地区から信濃町へ行く主動線と二又に分かれるところに存在している。この坂における修復手法は部分的修復が適当と考えられる。ゆるやかな坂は自動車交通はそのままにして おき、急な坂の方を公園化することによって車の通行を遮断する。ベンチを付加し、下からのアイ ストップになる無表情なコンクリートの擁壁にはインフォメーション・パネルと駅の方向を暗示するスーパー・グラフィックを施し、道には、他の部分と明確に区別できるように、デザインされたペーブメントを施す。
ⓑ坂 No.3, 4 (図-11)
ここは坂と公園そして寺院が存在する場所であるが、現状ではそれぞれが分離している。この坂における修復手法は全面的修復が適当と考えられる。坂3,4とにはさまれた寺院の斜面を小さな屋外劇場にし、また坂の下には自転車置場を設けている。これらの修復により坂が極めて印象の強い場になり、結果的に、上の町と下の町の子供達の最も重要な接点となるのである。
Ⓒ坂 No.6
ここはこの地区の主動線であり、坂としては傾 斜もゆるく、ゆるやかなカーブをし,そして左右に寺院が存在している。ここでも全面的修復が適当であると考えられる。車輌の通行を制限し、車道は狭められ、また他の部分と明確に区別ができるようにデザインされたペーブメントが施されて いる。加えて寺院に接する個所は歩道として道幅 が広げられ、市や縁日が立つような場が設けら れ、緑化も施されている。